「生と死」を考えさせられる物語——映画『涙するまで、生きる』
※画像はスクリーンショットです
5月30日に渋谷イメージフォーラムで公開された映画『涙するまで、生きる』。アルベール・カミュの短編小説「客」(『転落・追放と王国』所収)を原作とするこの映画は、人間の「生」と「死」が大きな主題となっています。
筆者自身、主人公たちが思い悩みながらも生きていく姿を見て、生きるということについて深く考えさせられました。今回は、3つの観点からこの映画のテーマについて考察します。
あらすじ
舞台は1954年のアルジェリア。フランスからの独立運動が高まるこの地で元軍人ながら教師を勤めるダリュのもとに、殺人の容疑をかけられたアラブ人のモハメドが連行されてきます。
ダリュが憲兵から命じられたのは、「モハメドを裁判にかけるために山を越えた先にある町タンギーへと彼を送り届ける」という内容。
ダリュはその命令を受けるのを嫌がり、「裁判にかけられたらどうせ死罪になるんだぞ」とモハメドを解放しようとします。ところが、モハメドはそれを分かっていながら「フランス人に裁かれたい」と言ってタンギーに行きたがる。
結局、ダリュはモハメドを連れてタンギーを目指します。
しかしその道中、復讐のためモハメドの命を狙う者たちの襲撃や反乱軍の争いに巻き込まれてしまい……。
自然な光と音、時間構成による臨場感
Photo by Daniel Hsia
この映画はほぼ全て自然光を用いて撮影されています。そして、BGMが少ないことが特徴的です。特に、ダリュとムハメドがひたすら歩くシーンなどは、2人の足音と息づかいだけが耳に響きます。
このように光と音に自然なものが用いられていることで、スクリーン上でサバイバルが繰り広げられているというよりは、その場に自分も存在し、呼吸をしているような感覚に陥ります。
もちろん、時おり絶妙なタイミングで流れる静かなBGMも、そのシーンの雰囲気をより深めています。BGMが流れるところは、少し耳を傾けてみるといいかもしれません。
また、降参したゲリラ兵が銃で撃たれるというショッキングなシーンがあります。このシーンは、スローモーションなど特殊な演出はなく、いたってあっさりと表現されています。
このように時間を流れるままに演出することで、よりいっそう登場人物の「生」と「死」に迫っているのではないでしょうか。
雄大な自然が強調する人間の生
Photo by Jörgen Nybrolin
映像の大部分を占めるのは、大きな山々やゴツゴツとした岩だらけの山道、広大な砂漠……アトラス山脈で撮影された、とにかく雄大で美しい大自然。
しかし、この自然は単に美しいというだけでなく、映画のテーマでもある「生」を強調しているように感じます。
映画全体を通して、画面に映るのはほとんど「大自然」と「人間」だけ。無骨でもの言わぬ、しかし根源的に生死を物語る大自然が背景にあるからこそ、その中で必死に生き抜く人間の姿が際立って見えます。
また、大自然は「不変なもの」というイメージを持ちながらも、気候などによって刻一刻とうつろう「変わりゆくもの」です。
この真逆とも言える2つのイメージに、「生と死」というモチーフが重なって見える、というのは筆者の深読みでしょうか。
「死」に直面し、「生」へ進む物語
映画の中では、主人公の2人が死体を目にするシーンがいくつかあります。
ダリュがとどめをさした馬、町へ向かう道中で鉢合わせてダリュが銃殺した追手、そしてフランス軍に殺されたたくさんのゲリラ軍……これらの死体に向き合うたび、ダリュとムハメドの気持ちや2人の関係性が変化していくように感じられます。
特に顕著なのは、ダリュが銃殺した追手の死体に直面するシーン。ムハメドは、自分のターバンを死体の顔にかけ、何か言葉を唱えます。おそらく成仏を願う言葉でしょう。
このシーンまで、弱さや「死」に向かう気持ちを表すかのように顔を覆い続けていたターバンを、ムハメドはここで捨て去るのです。
また、ムハメドをずっと「弱くてプライドのないやつ」と思っていたダリュも、彼の様子を見て考えを少し改めます。
画面下部に死体、それを見つめるダリュとムハメド。この画面構成は、映画のテーマをそのまま凝縮したようです。「死」そのものに向き合いながら、だんだんと「生」に向かっていく。そんな2人のターニングポイントとなるのが死体だと、筆者は考えます。
いかがでしたか。考えさせられるテーマ設定ですが、ラストの展開の余韻が心地よい作品です。ぜひ、劇場に足を運んでみては。