波乱万丈な学生時代と就活の話【霜田明寛インタビュー②】
現役大学4年生である筆者が就職活動をするなかで抱いた「はたらくってなんだろう?」という疑問。その答えに近づくためには、実際に社会ではたらいている方々に話を聞いてみるしかない!
こうして始まったインタビュー企画【はたらくってなんだろう?】。
第1弾で取材したのは、ライター、大学での就活講座など、様々なメディアでご活躍されている霜田明寛さんだ。
霜田さんは出版企画コンペイベント「出版甲子園※」をきっかけに、早稲田大学在学中より書籍執筆をはじめ、2009年『パンチラ見せれば通るわよっ! テレビ局就活の極意』で文筆家デビューを果たす。
※出版甲子園:学生対象の出版企画コンペティションイベント。毎年全国の学生から「本にしたい」企画を募り、審査とプレゼンの経て優秀な企画は書籍化される。
ジャニーズJr.に憧れるも大学1年生の時に夢破れ、次はアナウンサーに憧れるも最終面接で夢破れ、といった自身の経験から、「マスコミ就活」をテーマにした著作を2作書かれている。
フリーライターなどを経て、2013年よりトレンダーズ株式会社に所属し、『ソーシャルトレンドニュース』の編集長を務める。またマスコミ就活対策のトークライブ『就活エッジ』や、早稲田大学生協の就活講座で講師も担当されている売れっ子文筆家だ。
今回の「僕の就活」編では、霜田さんの就活体験談を伺った。
≪霜田明寛さんインタビューシリーズ≫
・「今の仕事」編
・「これからの就活」編
ジャニーズ・アナウンサー・芸人を経て「文章」の道へ
Q.ジャニーズ好きゆえに「ジャニーズ」になろうとしたけどなれず。そこから「アナウンサー」を目指したのはどうしてですか?
霜田さん:
大学に入る前からずっとジャニーズになりたかったんですが、大学1年のときジャニーズ事務所のオーディションを受けて落ちました。
もう1回受けようと思ったけど就活の時期が来てしまって、就活という選択肢の中でジャニーズに近いものは何かと考えた。それが「アナウンサー」だったという、マジメな志望者から見ればふざけた理由なんです(笑)
根本がそんな理由だと、最終選考でバレちゃうんだよね。そこまでは、コミュニケーション能力とかでなんとか乗り切れるんだけど、最終くらいになるとみんな同じくらいの能力を持っているから、熱意の勝負になる。そこで見抜かれちゃうんです。
それと、就活をしていくうちにどこかで「僕はアナウンサーではないな」と気づく瞬間がありました。
あるキー局のアナウンサー試験のカメラテストでウケをとったのね。会場は大爆笑だったけど、そのとき面接官のアナウンサーのひとりがボソっと「面白すぎるな」って言ったんです。
僕としては一瞬「やった!受かるのか!」と思っていたのだけど、実際はダメだった。
たぶん、アナウンサーとして求められる面白さは60点くらい。100点出したら芸人として需要はあるかもしれないけど、アナウンサーとしてのフェンスは越えてしまう。
それに気づいたとき「アナウンサーじゃないな」と思いました。
そんなとき面接で「君、芸人になれば?」と言われたのを真に受けて、アナウンサー試験で余った履歴書を芸能事務所に送ったら、そちらの面接が通った。
ある地方局の最終面接に落ちた時期と重なって、「芸人が縁かな」と思ってそっちにきました。
でもそうして入った芸人の世界も、色々辛いことがあって、途中で辞めてしまいました。そしてまた就職活動。
ある新聞社の最終選考で、支局で研修する機会があって。そのとき「文章上手いね」と言われたんです。その瞬間「あ、文章かな」と思って(笑)
大人の予言というか、ちょっとした一言にわりと左右されている、という感じですね。
自分の感覚でモノを言いたい
▲霜田さんは学生対象の出版企画コンペティションイベント「出版甲子園」(右)で準グランプリを獲得。デビュー作『パンチラ見せれば通るわよっ! テレビ局就活の極意』(左)を出版した。
Q.ライターや就活に関するお仕事を始めるきっかけってなんですか?
霜田さん:
そもそも僕は芸能界に入りたかった。芸能人じゃなくてもいいんだけど「自分の名前を出さなきゃ」と思っていて、そのときに見たのが「出版甲子園」のビラでした。
自分の名前を出すには本を出すのが手っ取り早い。自分の持っている情報で、本にするほどの商業的価値があるのは何かと考えたとき、当時後輩から相談を受けまくってた「就活」だなと思いました。
僕自身はどこも内定もらってないのに後輩から頻繁に就活相談を受けていた理由は、いろんなところで最終面接まで行ってたから。
テレビ局で最終面接に行く人、っていうだけでもかなり数は限られてくるから、後輩からすると「とりあえず最終まで行く方法教えてください!」という感じでした。
アナウンサーになった友達もいっぱいいたから、彼らがどうやってアナウンサーになったかも分かる。そういう情報を本にしたらいいよなと思って「出版甲子園」に応募しました。
5年生の夏に応募して、11月の決勝大会でチャンスをもらえて(霜田さんは第4回出版甲子園で準グランプリ)。
とりあえずこのチャンスにすがらないとヤバいから、本を出すことに集中して書いているうちに3月になって卒業しちゃいました。
Q.ライターになるとき、決めたことはありますか?
霜田さん:
今思ってみると、「自分の感覚でモノを言いたい」ということでした。
社会に出した方がいいなと思ったものは書くけど、特定の人を批判したり、「これ別に社会にとってプラスじゃないな」といったりする記事は、自分の名前が出る出ないに関わらず、適当に誤魔化して引き受けなかった。
だから当初から「何でも書く」みたいなことはしませんでした。
たぶん数年前の下っ端ライターだった僕がとるべき行動じゃないし、本当は何でも書いた方がフリーライターとして儲かったと思うんですけど(笑) でもそれは今でも変わりません。
特化したものが掛け合わさって仕事になる
Q.いま仕事をなさっていて「学生時代にこれをやっていてよかったな」と思うことはありますか?
霜田さん:
もともと商学部のマーケティングのゼミにいたのだけど、ほぼ違う学部の映画の授業に出ていました。
暇があると映画館に行って、早稲田松竹とか新宿のチケットショップで安いチケットを買って映画を観ていました。
今、映画の記事を書くことも多いんですけど、そのときインプットしていたものがやっと使えてるなと思います。
復習するだけで、新たに知識を入れなくても取材に行けたり記事を書けるというのは良かったなと。映画会社の人とも話が早いですし、インタビューした女優さんに「それ見てるんだ!」と驚かれたり。
あとは大学時代に演劇をして「自分たちで自腹を切ってモノゴトを表現する」ということをしていてよかったなと思っています。
当時演劇で「自分は知られていないんだ」という絶望を知り、その絶望から始まったことで、いま自分が評価されても調子に乗らなくて済んでいる。
「本を読みました!」という感想をもらったり、『就活エッジ』に就活生が100人単位で来てくれるようになったりしても、むしろ「これはアタリマエのことじゃないんだぞ、ホントにありがたいことなんだぞ、霜田!」みたいに思うんです(笑)
やっぱり本を出して一番うれしかったのは、自分が表現したものに対してお金をもらえるということ。お金をもらって表現できるというありがたみを、今も忘れずにいられるのは良かったな。
Q.反対に「ミスったな、ダメだったな」ということはありますか?
霜田さん:
商学部の授業やゼミに出過ぎたな、と。マーケティング界で知らぬ者はいない、というような先生と触れ合えたことは本当に良かったけれど、学生同士のサブゼミは本当に無意味だったと思っていて。
例えば、レベル3同士の学生で話し合っても、結局レベル3くらいまでにしかならない。だったらその時間でレベル100の人に会いに行ったりして、その恩恵を受けた方が良いと思いました。
でも仲間との惰性で出てしまったりもしていたので、自分にいらないものを切る勇気を持って、もっと特化すればよかったな。
今思えば、無意識に特化したものが強みになったのかな。
映画に関しては意識的に特化しようとしていたけど、誰に言われなくてもジャニーズの映像は家でずっと見ていたし、ミスキャンの写真も見ていた(笑)。
誰にも言われずにやっていたことが結果的に特化されていったのかなと思っていて。
たぶん僕みたいに「ミスキャンが好き」みたいなやつはたくさんいるけど、文章書けるのが僕だけだったから仕事が来たと思うんです。
フライデーの『就活リクスー美女企画』では「東京ビックサイトに行って、就活しているリクルートスーツ姿の女の子に声をかけて写真を撮る」という高度なコミュニケーション能力が必要で(笑)
ライターとして僕以上に文章の上手い人がいても、バンバン可愛い女の子に声かけて、連れてこられるのは僕だけでした。
最近では、こっちから声をかけなくても、就活生の方から「霜田さんですよね?」って声かけたりしてくれるし、特化したものが掛け合わさって仕事になっているのかなと思います。
≪霜田明寛さんインタビューシリーズ≫
・「今の仕事」編
・「これからの就活」編