「仕事はやりたい。でも子供と晩ご飯も食べたい」を叶えた“ひとり出版社”
現役大学4年生である筆者が就職活動をするなかで抱いた「はたらくってなんだろう?」という疑問。その答えに近づくためには、実際に社会ではたらいている方々に話を聞いてみるしかない!
こうして始まったインタビュー企画【はたらくってなんですか?】。
■「ひとり出版社」とは?
出版社の仕事すべてを、経営者兼従業員のたった1人だけでこなす「ひとり出版社」が最近注目を浴びている。
一口に出版の仕事といっても、その業務内容は多岐にわたる。書籍や雑誌のアイディアを構想する「企画」、そのアイディアを一冊の本として実現する「編集」、そうして完成した本を取り扱ってもらえるよう書店(販売者)に掛け合う「営業」など。そしてもちろん、会社を動かすには経理のような事務仕事も必要になる。
今回取材したのは、安永則子さん。大学卒業後テレビ局に17年勤務したのち、1人で出版社「小さい書房」を立ち上げ、3冊の書籍の出版に携わった編集者だ。すでに世に出ているインタビューを読んでみると、安永さんは「育児」を機に出版社を始めた、とのこと。はたらき方を変えるために会社を辞めて出版社を設立した、ってどういうことだろう……。それも1人で大変じゃないだろうか……。
今回の「今の仕事」編では、現在安永さんがされているお仕事について訊いてみた。
≪安永則子さんインタビューシリーズ≫
・安永則子さんインタビュー②(11月7 日公開)
・安永則子さんインタビュー③(11月10日公開)
Q.現在どのようなお仕事をされていますか?
安永さん:
「小さい書房」で、本を刊行する仕事です。大きな出版社だと営業マンや編集者がいますが、1人で経営しているので1人で何でもやります。自分で書籍の企画を立てて、編集をして、ページの設定や値段も決めて、書店回りや宣伝もやります。「小さい書房」は「書房」という名前なので、書店や本屋さんと間違えられることがありますね(笑)
デスクワークは事務所でやります。原稿を見たり、メールをチェックしたり、電話やファックスを受けたりとかしますね。でも、打ち合わせや書店営業に出かけることが多いので、事務所にずっといるというのはないですね。
Q.1日のスケジュールは?
安永さん:
朝早いんですよ。朝4時半に起きて仕事します。2時間半くらいたっぷりとメールの返信をして、7時からは主婦になる(笑) 子供を送り出したり、洗濯物干したり。また9時くらいから事務所で仕事。いまは4冊目の本が控えているので、ずっと原稿を見ています。先方からいただいた原稿をみて、直したりする作業をずっとしてますね。
夕方5時過ぎからは家事・育児の時間。夜10時には小1と小4の子供と一緒に寝ます。そして翌朝4時半からまた仕事が始まると。
土日は朝の4時から朝7時まで3時間くらいやっているかな。ひとり出版社だと、書店回りも経理もやる。平日の間に全部やると頭がぐちゃぐちゃするので、「レシートをまとめるのは土日にしよう」と作業を区分けしています。
週末きっちり休むことも大事だと思うのですが、やることが積み重なっていくのがイヤなんです。いつもある程度こなしておいて、次のチャンスがきたときに取り組めるようにしたいなと思っています。
▲作業デスクの壁の前には、備忘録のメモがいくつも貼られている
■テレビ局に17年勤務。やめたキッカケは「子供とのご飯」
Q.テレビ局時代のことを教えてください。
安永さん:
大学卒業後に就職したのはTBSです。当時は新聞の発行部数が多かったですけど、若い人は新聞をあまり読まない、とも言われていた。新聞を読まない世代にもニュースを伝えたいと思って、それがテレビ局を志望した理由です。
入社2年目から記者をやりました。テレビ局って、「報道」の中でもいくつも部署が分かれていて、私は世の中の事件や事故、流行なども取り上げる社会部に配属されました。警視庁や検察担当の記者クラブに行ったり。睡眠は3、4時間で、家には寝るためだけに帰る生活だった。でもそれは私自身とても楽しかったんです。土日の休みが返上になるのも苦じゃありませんでした。
Q.出産後、どのような経緯で出版社を立ち上げようとなったのですか?
安永さん:
20代から30代前半を記者として過ごし、34歳で子供を産みました。実は産んだ時もこの調子で仕事がしたいと思った。頼めそうなベビーシッターも5人見つけて、準備万端。産後10ヶ月で復帰したんです。
なんとかやれるだろうと思っていたけれど、現実には壁がたくさん出てきました。特に、子供と晩ご飯を一緒に食べたいと思った。これは番狂わせというか、自分では予期できないことでした(笑)
そこでどうしようか考えたときに、テレビ局の中でも報道とは違う仕事に就いてみようと思って。主にビジネスを担当する事業部なら、「ここまで利益を上げた」というふうに「お金」という物差しで自分の納得するまで仕事ができるのではないかと思いました。
事業部に異動して、担当したのは番組本の制作です。出版社とタッグを組んで、ドラマのガイドブックなどを作っていました。事業部の仕事も楽しくて、3年くらいやったんです。
でも、もっと自分に合ったはたらき方がないか、という気持ちがあったんです。仕事を目一杯やりたいとなったとき、私は人より「時間」が長くかかる。「時間」が必要なら、通勤の移動時間ももったいない。それなら会社を辞めて、自分が立っている仕事の土俵ごと変えたほうがいいんじゃないのかな、と。そして1年くらい考えていたとき、たまたま「ひとり出版社」を取り上げる記事をネットで見つけました。そのとき、もうこれだ!と思ったんです。
20代から30代前半には「仕事」が最優先だったけれど、出産・育児を通して、「子供と晩ご飯を食べる」ことも同じくらい最優先になった。「仕事はやりたい。でも子供と晩ご飯も食べたい」と思ったことが、はたらき方を変えるきっかけになったんです。
取材・文/信太 秀斗
≪安永則子さんインタビューシリーズ≫
・安永則子さんインタビュー②(11月7日公開)
・安永則子さんインタビュー③(11月10日公開)