アートの領域!堀口切子が伝える伝統文化の変化
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※この記事は、Cue編集部「Cue Vol.30 面倒くさいものほど素晴らしい。」からの転載記事です。
「堀口切子」の作品は伝統的な江戸切子とは違った趣を見せる。伝統的な文様が組み合わされ、見方によって全然違う魅力があり、工芸品というよりアート作品のようだ。作品の独創性が国内のみならず、海外からも注目されている。作品を生み出す堀口さんは、“伝統”ある江戸切子をどのように捉え、魅力を伝えているのだろうか。
今回は「堀口切子」を製作されている堀口徹さんにインタビューした。
伝統文化の中にある「流行」
――堀口さんの作品は、一見江戸切子とはわからないようなモダンなものがありますよね。江戸切子を受け継いでゆく者として、伝統的な要素を残しつつ、モダンな要素をとりいれる難しさはありますか?
それは、伝統や継承に対する捉え方の違いだと思います。この仕事に就いてから、そもそも伝統って何かとか、どういうことを継承するのか考える機会が増えたんですね。例えば何かをやっていく中で、よくないものは省くし、いいものは付け加える。それって当たり前のことで、会社も学校も、個人だってやってる。そういう行為を、何十年、何百年とかある一定の期間続けていったときに、第三者が作品を見て “伝統”って言うのだと思います。
2、30 年くらいの単位で見ると、伝統工芸ってほとんど変わっていないんですよ。しかし、100、200 年って広い視野で見ていくと、実は時代によって結構表情を変えてきているんです。ただ伝統工芸はこの変化のサイクルが早くないから、江戸切子は変わらず “こう”あるべきだと思われやすい。それゆえ自分がその江戸切子のイメージと違うものを作ると、斬新だとか新しいとか思われがちなんだけど。江戸切子の長い流れの中には流行やサイクルがあって、その中では自然の流れなわけです。
自分はバイヤーさんや、使い手の方からの要望を直接聞きながら作っているので、ある意味時代から求められてるものを感じて作っていくことになります。そう考えるとそんなに奇抜な行為じゃない。でも、いきなり部分的に切り取って見ると、奇抜に見えるかもしれないんですけど。
――しっかりと江戸切子の本質という部分を考えて受け継いでいらっしゃるんですね。
はい、自分としてはそういうものを継承してるつもりなんです。でも、ある一定の幅の広さも重要だと感じています。伝統的なスタイルで作り続ける人もいれば、自分みたいに色んなスタイルで作る人もいるみたいな、幅の広さがあると相乗効果になっていく気がします。150 年前のデザインのものを今買いたいっていう人がいても同じものを提供できるっていうところが、伝統工芸の深さというか……。
▲作品の1つである「籠目二菊繋文切立盃」
今の時代に合わなければもう少し寝かせておいて、何年後かの今だっていう時に投入することもあるし。何十年後かに投入するために今から仕込んでおくってこともあって、それって結構ロマンがありますよね。職人としての人生は限られているから、なるべく順番を考えて作っています。
▲「籠目二菊繋文切立盃」を横から見た様子。
魅力を伝える難しさ
――読者の方に江戸切子についてもっと知ってもらうためにも、職人さんの目線から語る江戸切子の魅力を伺ってもいいですか?
透明感、輝き、陰影、それから状況や背景によってちょっとずつ表情が変わる魅力があるんです。買われた後に使い手によって何らかの要素が足されると、表情が変わっていく。つまり江戸切子には、実はもっと魅力が秘められていて、それを探っていく楽しみがあるんです。この飲み物をいれたらどんな表情になるのか、こういう背景のところではどんな映り込みになるのかとか、その時々のために、ある種の余白みたいなものをとっておいているつもりです。
▲作品の1つである「黒被万華様切立盃」
――あまり興味のない人に、作品を見ただけでそういう魅力を伝えるのって難しいですよね。
本当にそうですね。昔、伝えるか伝えないかってことを結構悩んだことがあって……。例えば「束(たばね)」っていうシリーズは、デザインでありながらストーリー性も込められていて、かつ機能面も果たしてる。でも、それって言葉にしないとなかなか伝わらないんですよ。
▲「束」のグラス。「人を束ねる人は、色々な物事を瞬時に絶妙なバランス感で白黒つけていく」という意味が込められており、グラスの半分は白で半分は黒。
そんな時、ある先輩に、「伝えるとか伝えないとかっていうよりは、伝わるってことが大事なんじゃないか」って言われて、そういうことかと思いました。すごくスッキリして、今は伝えるってことが全然嫌じゃなくなってきました。何も言わなくても伝わったならOK、伝えて喜んで頂けたならそれもOK で、大事なのは伝わるってこと。逆に伝えなかったことで、ぜんぜん違う捉え方をしてもらえることもあっておもしろい。だから、自分は色々考えて作るけど、作った後の使い方は委ねます。
――直接お客さんに会って、魅力を伝えるような機会って限られてくる気がするのですが。
結構悩んでますよ。まず、話が直接出来ない。例えば、グラスを手に取ってから傾けて飲むまでの、グラスの表情が変化していくところって、別の角度から撮った画像が複数あっても伝わらないんですよね。見せ方が今の堀口切子では全然フォローできてないんです。
▲「よろけ縞 そば猪口」 竹をイメージしており、使い方は様々。
印刷物、ネット動画、写真とかで色々とやっていますが、作るより伝える方が難しいです。だって作るのは好きですから。よく取材で苦労や挫折を聞かれるんですけど、そんなのないんです。楽しいことやってお金もらうんだから最高ですよ。
それより大変なのは、続けていくためには売らないといけないってこと。伝統工芸でも伝統芸能でも残らないものは、残らない理由があると思うんです。それがそもそも知られてないからっていうこともある。そういう意味で江戸切子に関してはもっと知られたり、体験してもらったりする必要があります。
▲キャンドルにも使える「よろけ縞 そば猪口」
江戸切子自体が全体的に60 代、70 代を相手に百貨店の特選和食器とかで商売をしていることが多いので、10 年後、20 年後大丈夫かっていう話なんですよ。今の20、30、40 代にしっかりと提案が出来ていないと、その方々が60、70 代になった時に、欲しいものの選択肢にそもそも入ってこないんじゃないかって危惧しています。だから、今は特に30、40 代に対して提案していきたいと思っています。
あとは、江戸切子を作る側の話っていうより今の日本の話になるんだけど、「誂える(あつらえる)」文化が昔のように盛んになると、知ってもらうことにつながる気もするんです。
――「誂える」文化とはどんな文化でしょうか?
「誂える」とはいわゆるオーダーですよね。振り袖とか、何か誂えたことありますか。仮に江戸切子を誂えるとしたら、グラスの金型や色を作ったり、デザインの打ち合わせをしたり、一個作ろうとするだけで話が広がって色んなことを知れる。だから「誂える」文化があった時は、使い手の人たちも物を知ってた。誂えて作ったからには、お手入れ方法も知ろうとする。
でも、効率が重視されるようになって、誂える文化が少なくなると、そういう知識がどんと落ちる。オーダーを受けて、作り手が慣れないことをやることでついていく技術力も減る。「誂える」文化を大事にすることで、オーダーをかけられた職人さんの方も技術が上がるし、世界に一個しかないっていう喜びとか、大切に使う気持ちとか、色んなことを知る機会につながるということ知ってもらいたいなと思うんです。
伝統文化は時代に合わせて少しずつ変化している。若者も変化する伝統文化に触れてみてもいいかもしれない。
文/Cue編集部
Cue編集部
大学生に「彩りのあるきっかけを」というコンセプトのもと、フリーペーパー『Cue』を編集・発行。
最新号はvol.31『セン』
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