「みんな”地続き”で生きている」──”朗読詩人”成宮アイコさんインタビュー
命を削るような叫びと、心の隙間に直接響き渡っていく激情の言葉。
ほのかに光るスポットライトの下、“独特なスタイル”でライブパフォーマンスを繰り広げる彼女は、“朗読詩人”を名乗る成宮アイコさんだ。
その独特なスタイルとは、一枚一枚に魂を込めた詩や短歌を書き綴った赤い紙を読み捨てて観客に持ち帰らせる、というもの。
今回、Gaku-yomu編集部では「生きづらさ」と「社会問題」をテーマに人間賛歌を紡ぎ続ける成宮アイコさん(以下、成宮)にインタビューを行った。
成宮アイコさんって何者なの?
・成宮アイコさん プロフィール
機能不全家庭で育ち、不登校・リストカット・社会不安障害を経験。赤い紙に書いた「生きづらさ」と「社会問題」をテーマにした詩や短歌を読み捨てていくスタイルのライブは、ポエトリーリーディングならぬスクリーミングと呼ばれることもある。
フジテレビ「スーパーニュース」、NHK「福祉ネットワーク」や「朝日新聞」「東京新聞」をはじめ全国の新聞で紹介され、東京・新潟・大阪を拠点に各地で興行。県主催のシンポジウム、地下ライブハウス、サブカルチャー系トークイベントなど多ジャンルに出演。EX大衆web・TABLO・Rooftopにてコラム連載中。
好きな詩人はつんく♂。好きな文学は風俗サイト写メ日記。趣味はアイドルとプロレス。著書に『あなたとわたしのドキュメンタリー(書肆侃侃房)』『伝説にならないで ハロー言葉、あなたがひとりで打ち込んだ文字はわたしたちの目に見えている』(皓星社)がある。
生きるためのアジテーションを目指して本当のことばかり言っていたら、YoutubeやAmebaからたびたび朗読動画や文章コンテンツを消されたため、絶対に黙らないでいようと心に決めている。
(画像・文章ともに公式サイトから引用)
筆者:WebマガジンGaku-yomuといいます。今日はよろしくお願いします!
成宮:成宮アイコです。よろしくお願いします!
そもそも”朗読詩”を始めたきっかけって?
──ライブで見せるような表情とは打って変わって、成宮さんは終始穏やかな笑顔を浮かべながら我々と話をしてくれた。場所は新宿にある落ち着いた空間のカフェ。親しみやすい成宮さんの態度に、筆者の緊張も自然とほぐれる。
筆者:あの…突然かつ失礼なんですけど、“アイコさん”ってお呼びさせて頂いてもいいですか?
成宮:あっ、はい全然いいですよ!笑
筆者:実は私“アイコ”っていう言葉の響きが好きで…だからちょっと呼んでみたいな、って思いまして笑
成宮:えー嬉しい!笑 全然それで大丈夫ですよ!
筆者:ありがとうございます!笑 えっと、早速ではありますがアイコさんの新刊『伝説にならないで』を読ませて頂きました。普段私は装飾された言葉とか回りくどい言い回しのものとかを好んで読むことの方が多いんですけど、どこまでもまっすぐ心に訴えかけてくるアイコさんの作品の数々も、私上手く言えないんですが「過去の自分に優しく触れられる」というか、「これに救われる人って数知れないんだろうな…」って感動しました。
成宮:わぁ!ありがとうございます。普段から文学に触れている方はどう思うんだろう…っていうような心配がずっとあったんですけど、嬉しいです。というのも、私はこの詩を「作文」だと思って書いていて。「自己表現欲」や「承認欲求」とはまた違うんです。そういうのよりは自分の頭の中で考えていることを吐き出す「手段」なんですね。だからあんまり胸を張って「これは作品です」とかは言えなくて…笑
筆者:確かに他のインタビューで「自分の詩は“作品”ではない」みたいなことも仰っていましたもんね(笑)でも、そもそもなぜ小説などではなくて詩や短歌を書こうと思ったんでしょうか?
成宮:私は人と会話できなかった期間が長かったんです。一日誰とも喋らなかったら思ってることはずっと頭に溜まっていくし翌日も残っちゃうから、それを発散するために最初は「頭の中にあるもの」をぜんぶ紙に書いて、その次はブログを書いていました。人と会話してない代わりにどこかにメモしていかないと、私が考えていることが私以外この世界で誰も知らないまま、自分にとってもなかったことになることが怖くなって。決して「詩を書こう」と決意して詩を書き始めた訳ではないんです。だから自分が作ったものに“これは詩です”っていうのもあんまり言い出せないから“朗読詩”っていうのがしっくりきます。
筆者:じゃあ今「詩」を書いているのは何かを選ぼうとした訳ではなくて必然的だった、っていう感じでしょうか?
成宮:そうですね。「書き残さないと取り残されてしまう」っていう気持ちで書いていました。私にとっては詩は脳内処理で、フローチャートみたいなものですね。
筆者:なかなか“朗読詩”って聞き慣れない言葉だと思うんですけど、アイコさんがその自分の詩に自分で声を付けよう、自分の声で読もう、って思った理由って何ですか?
成宮:まさに人と会話をしなかったこの頃に、最初はおじいちゃんおばあちゃんしか居ないスーパーとかイトーヨーカドーとかにずっといたんですね。学校にあまり行ってなくて時間がたくさんあって暇だったから、補導員の人が来ない所を転々としていたんです。そのうちのひとつにミニシアターもあって、支配人さんに「何で毎日来てるの?」って聞かれて。それで詩を書いてることを伝えたら「そんなに書いてるなら展示してみれば?」って言ってくれて、最初は展示をしていました。その後、自分の好きな小説や詩をアナウンサーの人とかが発表できる舞台があったんですよ。それを見に行って「今日は支度するのに時間がかかって遅刻しそうになった」とか言ってる人がいて、「えっ、そういうのも人に言っていいんだ…」って衝撃を受けました。共感しました、っていうことを主催者の方に伝えたら「じゃあ君もやってみなよ」って言われて、ステージに上がることになったんです。
筆者:そのステージが今のアイコさんのルーツみたいなものにもなるんですよね。
成宮:そうですね。最初は人前に出られなかったので、舞台には人形を置いて自分は舞台袖で話すってことをしていました笑。自分が「これは言っちゃダメだ」って思っていたことって、言葉にして口に出してみると「それすごい分かる!」って共感してくれる人がたくさんいて。それまで自分以外の人間はみんな完璧でいわゆる「大丈夫」な人たちだと思いこんでいたんですけど、「案外みんな私と同じで大丈夫じゃないんだ」って気づきました。私は学校では「あいつの声キモいよね」とか散々言われていて、今もですけど自分の声が嫌いで。でもそこで、「すべての場所が大丈夫になることはないけれど、大丈夫な場所で喋れば何も怖くない」って思えたんです。
筆者:そのステージで声を出してパフォーマンスを行ったことが、“朗読詩人”っていう肩書きを生み出したキッカケにもなったんですね。ところで、ちなみになんですけどその人形はどんな人形だったんでしょう?笑
成宮:あ、そこには何のこだわりもなくて(笑)全然普通の、香港のお土産か何かでもらった青いクマです笑。その頃は身の振り方が分からなくて無我夢中で、家にたまたまあったものを使ったっていう感じです。今はもう…多分捨てちゃいましたね…。
筆者:ええええ勿体ない!笑 もうお目にかかれないんですね…。
成宮:そうなんです(笑)「誰もいない状態で詩を読むのは悪いな」って思っていた程度だったので…。
「人と繋がること」の大切さについて
──「みんな大丈夫じゃないから大丈夫だって気づきました」と笑うアイコさん。ジャズミュージックをBGMにしながら、話は自然とアイコさんの根本テーマでもある「生きづらさ」や「人との繋がり」の方へ進んでいく。
筆者:そういえばアイコさんの別のインタビューで、「嫌いな人とも地続きでありたい」って仰っていたじゃないですか。普通は嫌いな人相手だったらそこで断絶しちゃうのに、アイコさんはそうじゃなくて地続きでいる…それって一体何ででしょうか?
成宮:えっと、嫌いな人とは仲良くなりたい訳ではないし、「嫌いは嫌い」なんですよ。でももしかしたらその人も私と同じように強迫神経症かもしれないし、実はお互い好きなアイドルが一緒かもしれないし、もしかしたら共通点が何かあるかもしれない。嫌いだからって「あなたと私は別の世界」だって言っちゃうのは嫌なんです。「嫌う」ってそれだけで疲れるし、その人と世界を別にしちゃうとその人の世界からも自分がいなくなってしまうから…誰とでも仲良くする必要はないけれど、断絶するのも嫌。誰でも受け入れる訳ではないんですけど、そういう人たちとも「地続き」だという意識はもっていたいです。
筆者:「嫌い」だからってもうコミュニケーションをやめてしまうという訳ではなくて、「あの人にも私と同じところがあるかもしれない…」っていう想像力を働かせるんですね。仲良くする、というのとは全く別のベクトルの話ですよね。
成宮:はい。実のところ「自分が存在している」ということを確かめるために人と繋がりたい、というのも大きくて。例えば夜中とか、一人で部屋にいると「この世はあるんだろうか」「この部屋ってほんとうにあるのかな」っていう気持ちになるんです。そういう時テレビを点けると「世界と繋がっている」っていう感覚になれて…。でもやっぱり会話が一番したいことなのかもしれないです。人と会って喋ると、「今日はこの人と喋ったからこの人の中で私は生きている」という感覚になれる。まあ一人に戻ってしまうとまた不安に襲われるんですけど…。
筆者:ああ、私もよく同じ気持ちを覚えるので分かります。真夜中の“究極の病みゾーン”に突入するとよく考え込んじゃいますよね笑
成宮:そう、ほんとそれなんです(笑) 他人が自分を好きか嫌いかは興味ないんですけど、その日会った人は家に帰って何を考えているんだろうとか、凄くおしゃれな人でも私みたいに半額のお惣菜を買うのかな、とか考えてしまいますね。あと、完璧な人でもシンクに洗い物がたまっているのかな…とか。たとえ嫌いな人でも、その人が私がつまずいた釘と同じ釘でつまずいてたら「やめて、人間味出さないでー、嫌えなくなっちゃうから」と思ってしまいます。嫌いな個体にならないというか、同じ人間なんだなっていう「地続き感」があって…。
筆者:ああ~~~すごく分かる…「何だあの子もじゃん!」って、あんまり良くないけどその欠点が可愛いって思ってしまうのめっちゃ分かります…(頭を抱える)
成宮:(笑)
筆者:(気を取り直して)今は色々な生きづらさを抱えている人が生きていて、Twitterで病み垢とか裏垢を持ってる人も多いですよね。実は私もその内の一人なんですけど(笑)
成宮:以前にTwitterを規制するっていう話がちょっと出たときに、“ああこれは、死ぬ人が増えるな”って思いました。自分の闇を吐き出す場所がないとどうしようもなくなってしまうから…。
筆者:そうなんですよね。「死にたい」って言う場所を消せば問題が解消される、って意味が分からないですよね…。重要なのは全くそこじゃないのに。
成宮:そう、ほんとにそう!だから私は今大人で、例えば学校にいけない子供たちに「学校なんて行かなくていいんだよ」とは軽々しくは言えない。これはもちろん、「わたしだって行かなくてもいいと思っている」という前提でのお話ししですけど。やっぱり学校に行かないと大変だって自分の経験で分かっているから。もし転校するとして、それを親に相談して理由を言わなくちゃいけないっていう関係性の問題もあるし、その手続きもたいへんだし、お金も時間もかかるし、普通に卒業したときの選択肢と変わってしまうっていう先の保証とか、それに「元気じゃない状態の人間にそんなことできる訳ないじゃん!」って笑。
筆者:なぜか被害者の方にばかりリスクが負わされるんですよね、謎ですよね笑。
成宮:ほんとに(笑)Twitterでも、「死にたい」とか「寝れない」とか言える場所をなくそうとしたら本当にダメですよね。私がTwitterで好きなのは、色々な「死にたい」が同じ価値で一列に並んでいるところなんです。例えば「明日数学のテストやばいから死にたい」も「仕事決まらないから死にたい」も同じ列に並んでる。現実では何も知らない人に「この人は入院したから貴方よりも大変」とか「ほかの人はもっと頑張ってる」とか言われて苦しみの大小を比べられたりするけど、それが本当に好きではなくて。Twitterの自由で軽々しい言葉の並びがすごく好きですね。
筆者:なるほど…あ、でも「軽々しく死にたいとか言うな」みたいに怒りをぶつける人って一定数居ますよね。その人たちに対してもアイコさんは「繋がりたいな」と思いますか?
成宮:いますねぇ…(苦笑)うーん、でもコミュニケーションはとらなくてもいないことにはしたくないです。やっぱりそういう人たちとも「地続き」のはずだから。歌舞伎町で集団リスカ、っていうニュースが最近あったんですけど、それにもやっぱり「ファッションメンヘラ」だとか「心配されようと思いやがって」みたいに思っている人とかがいて。そうかもしれないけど、そうやってするほかにどうしようもない状況だったかもしれない。集団でそういうことを外でしなきゃいけない状態にまで陥るって、相当メンタル的にやばいことじゃないですか。それって文句を言うひとたちがいう「ほんとうの辛い」とどう違うんだろう?何で嘲笑われる必要があるんだろう…?って思いますね。もちろんそれはあぶないし、やってしまった行動に問題があるという前提ですけれど。
筆者:日本では公共の場で「死にたい」と言うこと自体良くない、みたいな風潮がありますよね。
成宮:そうですね。でも一つ思うのは、そうやってリスカをファッションメンヘラだとか罵る人たち自身が悪いのではないということです。その人が育ってきた環境とか教育とかでそう思うようになっただけで。「どの人にもバックボーンはある」と私は考えてしまって。もしかしたら今すごく生活が不安定なのかもしれないし。自分の足場がないときって周りの人を否定してた方が足場ができるし。複雑ですね。
筆者:環境が人格を左右するといっても過言ではないですもんね。私はなかなかそこまで想像力が及ばなくて、アイコさんを尊敬します…
現在の詩・パフォーマンスについて
筆者:初期の頃から現在に至るまで、何か詩を書くことのスタイルとかスタンスに変化はありますか?
成宮:詩のテーマは全く変わっていないんですけど、スタンスの変化は三段階あって。最初はいじめのこととか悪口言ってた人とかDVの家族とかに対する怒りを書いていたんです。けど、「分かる」って私の言葉に共感してくれる人が増えたことで、「みんなで死なないで生きていかねば」っていうアジーテションのような形にシフトしました。でもそのやり方も今は私の中では通過したんです、いまは、「それぞれが別々でいても、みんなそれぞれ元の部分で共通していて、それでみんな生きているんだ」って感じです。今は何だろう、踊念仏みたいな(笑)。「みんなそれぞれ自分の生活の中で生きていよう」っていうスタンスですね。最初は点と点を線にしようとしていたけど、いまは点と点のままバラバラのままでいいんだなってある時気が付いたんです。
筆者:「怒りの感情の吐露」から「みんなで生きよう、点と点を結ぼう」というスタイルに変わって、でも今は「それぞれがそれぞれの世界を持って生きていけたら」、と。
成宮:そうですね。ライブの時も、「ここから出たら私たちはまた違うところへ行くけど、“それ分かる”って共感したことは消えてないし、自分の生活にそのまま戻っても大丈夫」って。ただ「分かる人にだけ分かればいい」なんて全然思わないです。「分かってほしい」は無いけれど、「分かられたい」し「分かりたい」。「分かってほしい」とはまたニュアンスが違うんです…難しいんですけど。全く知らない土地でサーティーワンの看板が見えたら安心するように、これまではライブではいつでも同じ髪型やファッションで居たんですけど、そうじゃなくても今はいいんだって思っています。ライブの時に投げる紙の色が赤なのも実は全く理由がないんです、本当に最初に選んだのが赤だったってだけで(笑)ただわかりやすい記号をたくさん作っていただけなんです。
筆者:それ、何か意味があるのかと思ってました(笑)いや、でも変な後付けが無いっていうのには安心します(笑)
新刊について・生きづらさに悩む大学生へのメッセージ
筆者:8月1日に新刊『伝説にならないで』を出版されましたが、今回の新刊に対しての思い、とかあれば教えていただけますか?
成宮:新刊への思い…うーん、「地続き感」っていうのはどうしたら伝わるんだろうっていうのをずっと試行錯誤しているので、それが今回にも通じていますね。悪口って一瞬で、「あいつこんなこと言ってたよ」って言ったら広められるけど、それを言うに至った経緯は触れなかったり、わかりやすい一言だけが過剰に広まって別の意図になってしまったり。そこを誰かが言わないと簡単なことばかりしか伝わらなくなって、そしたら嫌いな人ってただ単に「嫌いな個体」になってしまうんですよね。結果だけを見るんじゃなくて、経緯のことも知りたい。
筆者:「美しい自尊心」にもあるように、一人一人にある壁は壊さなくてもいい、と訴えかける一文も大事なメッセージだなぁと私は感じました。人はみんな共通した部分が必ずあってどれだけ姿や内面が変わろうと地続きの関係なんだけど、その人がどうしても取り壊すことはしたくない他人との壁は無理に壊そうとしないほうが生きやすい。
成宮:はい。皆が個別のまま、でも繋がることができたらいいなと思います。今生きづらさを抱える大学生の方たちに、「“壁なんて無い方がいいよね“って言ってくる人たちがいても、あなたにとってその壁が大事なものであれば壊さなくてもいいんだよ!」って伝えてくれる人がたくさん居たらいいなと願っています。裏垢はいくつあっても大丈夫だし、もしかしたら私が検索して「死にたい」を見ているかもしれないです(笑)糸はいっぱい繋げたいし、しかるべき方に詩集の内容が届けばいいなと、そこから次はその人が広げていけたらいいなと思っています。
「無理して壁を壊そうとしなくてもいい」──言葉の節々に宿る鋭いまなざし
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「来世は絶対にマイルドヤンキーになりたい」と語るアイコさん。
物静かな雰囲気の中にも力強い情熱があり、彼女の前にいると「実は私も、」と苦しかった思いを話してしまう不思議な魅力があった。
新刊『伝説にならないで』は現在絶賛発売中である。月に数回地方でもライブを行っているので、是非足を運んでみてはいかがだろうか。
★成宮アイコさん 公式サイトはこちらから。
★公式Twitter→@aico_narumiya
★公式Instagram→https://www.instagram.com/aico_narumiya/
(文/一年明日)