村上春樹作品の入門に『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が最適である3つの理由

はじめに:多くの人が直面する「村上春樹どれから読んだらええねん問題」
こんにちは!がくよむライターのねもです。
一人暮らしを始めてしばらくして、ふと思い立って昔読んでいた小説を読み返すために自分の本棚を眺める機会が増えました。
僕の本棚の大部分は新書によって占められているのですが、小説のエリアでひときわ大きな存在感を放っているのが村上春樹作品を置いている段です。人に貸したっきり帰ってこなくなったものや、外出先に置き忘れてしまったっきり買い戻していないものも多いため全ての作品が揃っているわけではありませんが、氏の作品はだいたい買って読んできたんだなぁということがわかります。
そんなことを感じながら本棚を眺めていると、こんな疑問が湧いてきました。
「自分は村上春樹氏の小説をたくさん読んできたけれど、この中から一冊を初読者に勧めるなら、どれを勧めるだろうか?」
この疑問は、ハルキスト(=村上春樹作品の愛読者)のみなさんなら誰もが一度は直面したことがある問題なのではないでしょうか?
また、実際「村上春樹作品を読んでみたくてハルキストの友達にオススメを訊いてみたけど、あまり納得のいく答えが返ってこなかった」という経験をした方も少なくないのではないでしょうか?
無理もありません。
だって、村上春樹作品はどれも名作なんだもん!!!!仕方ないじゃん!!!!
……ということで、せっかくの機会なのでハルキストの端くれとしてこの問題に一つの答えを出してみました。
個人的ベスト入門書『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
筆者が村上春樹作品の”入門書”として未来のハルキストにぜひとも読んでいただきたいのは、2013年発表のこちらの小説
『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』
です(タイトルが長いので、以下、『多崎つくる』と呼ぶことにします)。
数ある氏の作品の中では比較的地味な扱いをされることが多い本作ですが、実は村上春樹作品の「最初の一冊」として読むにあたってこの上なく”ちょうど良い”作品なんです!
そこで、この記事では本の内容そのものには全く触れず、ネタバレはほぼ無しで、『多崎つくる』が「最初の一冊」に最適である理由”だけ”を徹底的に解説していきます!
村上春樹作品の世界に”入門”したい方、村上春樹作品を”布教”したいハルキストの方、どちらにとっても必見の記事です。
理由①:”村上春樹作品らしさ”がすべて詰まっている

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これは完全に主観ですが、『多崎つくる』は、他の多くの村上春樹作品に見られる典型的な”村上春樹作品らしさ”を網羅した小説である、という読み方ができます。
筆者が思う”村上春樹作品らしさ”を箇条書きしてみると、こんな感じです。
(1)主人公が村上春樹氏本人を思わせる成人男性であること
(2)主人公が物語の中で特定の人物との関係を通して自己存在を見つめなおすこと
(3)主人公が人との関係を求めて旅をする「紀行文」的な私小説であること
(4)虚構や遠い国から、現実あるいは東京に”帰還”する物語であること
(5)作品を通してテーマとなる具体的な音楽があること
他の氏の作品は、基本的にこれら5つの要素のうちいくつかを組み合わせて書かれているのですが、その中で本作『多崎つくる』は、5つの要素すべてが含まれています!
つまり、この小説は、先に述べた”村上春樹作品らしさ”が全て網羅しているといえるのです。
よって、とりあえず『多崎つくる』を読めば、自分に村上春樹作品が合っているのかどうか、他の作品を読んで楽しめるかどうかがわかる、というわけです。
理由②:重たすぎず軽すぎない、程よい読後感を得られる

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村上春樹作品というと、人間関係における倫理観のギリギリのレベルにまで踏み込んでいこうとする『ノルウェイの森』や、社会派小説的な要素を併せ持つ『ねじまき鳥クロニクル』や『アフターダーク』、『1Q84』、そして難解なメタファーを多用したファンタジー要素が登場する『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『騎士団長殺し』といった「重たくて、読んでいて疲れる小説」が多いという印象を抱いていらっしゃる方も少なくないのではないでしょうか。
筆者は中学に入った頃からハルキストだったので、あまり「重たい」という印象は持たずに氏の小説を読んできましたが、確かに『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥クロニクル』を読み終えた後はどっと疲れていたような記憶がありますし、『騎士団長殺し』を読んでいる最中は難解なメタファーを考えるために脳みそをフル回転させていたように思います。
筆者のように村上春樹作品の魅力に憑りつかれた状態で読むうえでは、こうした疲れや思考も、作品が提供してくれる”エンターテインメント”の一部として享受することができると思います。ですが、まさにこれから”入門”しようとしている方にとっては、なかなかハードルが高いことでしょう。
『多崎つくる』のストーリーは、①で述べたように”村上春樹作品らしさ”を網羅しているためそれなりに重厚な読後感を得られる一方で、理解するにあたって脳みそをフル回転させなければならない難解なメタファーや、胸の内を抉られる生々しい表現は登場しません。
まさに『多崎つくる』は非常に”ちょうど良い”小説なのです。
では、この作品は、どうしてこのような”ちょうど良い”小説に仕上がったのでしょうか。
村上春樹氏は『多崎つくる』を刊行した際のインタビューでこのように述べています。
「出来事を追うのではなく、意識の流れの中で出来事をばらばらにして乗っけていった。3、4年前だと書けなかった作品だと思う。最初は短い小説にするつもりだった。多崎つくるが過去に(高校時代の)4人の友達から理由もなく(縁を)切られ傷ついて、再生していく話だけれど、4人がどういう人かということや、絶縁の理由も書かないつもりでした。でも4人のことがどうしても書きたくなった。多崎つくるに(恋人の)沙羅が『名古屋に行きなさい』と言います。多崎つくるに起こったことが僕にも起こった。『4人を書きなさい』と沙羅に言われたんです。木元沙羅は僕をも導いている。導かれるというのが僕にとって大事なこと。導かれ、何かを体験し、より自分が強く大きくなっていく、という感覚がある。読む人にもそういう体験があるといいと思っています」
(村上春樹さん新作を語る 人と人のつながりに共感https://www.sankei.com/article/20130508-TYF5CY5DZVO5RFBG4NEJNZBD2I/ @Sankei_newsより)
なるほど、『多崎つくる』は村上春樹氏の「人間の物語を描きたい」という内なる欲求に導かれて書かれた、至極素直な文学なのですね。リアリズムを徹底的に追求するこの小説には、過剰なメタファーやセンセーションは全く用いられていません。それでいて、プリミティヴな欲求に従って書かれた小説であるがゆえに、氏がこれまでの小説執筆の中に散りばめてきた「こういうことを描きたい」という要素が絶妙に結集して調和しているのです。
『多崎つくる』が入門書に適していると言えるのは、ある意味で必然なのかもしれませんね。
理由③:1冊で完結する

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これ、入門書としてはめちゃくちゃ大事な要素だと僕は思います。
だって、「これを読んで村上春樹の世界に入門しなさい!」と言われて1Q84の文庫版全6冊をドーンと手渡されたら、誰だって「え……こんなに読まなきゃいけないの……?」ってなるじゃなないですか。
世間一般的に村上春樹作品の中でも傑作と名高い『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』、『1Q84』はどれも文庫本1冊に収まらず、短くても前後編、長くて6巻にまで渡るので、「最初の一冊」として選ぼうにも「いやこれ、一冊やのうて何冊もあるやんけ」となってしまうわけです。
じゃあ1冊に収まっている他の村上春樹作品はどうかというと、デビュー作の『風の歌を聴け』や続編とされる『1973年のピンボール』はハードボイルド作品としてのクセが非常に強いため入門には向かないし、『国境の南、太陽の西』や『スプートニクの恋人』、『アフターダーク』は文学的実験作品としての色が濃いためこれまた入門に向かず…
その点、①で述べたように”村上春樹らしさ”を網羅しているうえに②で述べたように”ちょうど良い”読後感を得られることに加え、1冊で完結するためサクッと読めるという強みも持ち合わせている『多崎つくる』は非常に手を出しやすい小説であるといえるでしょう。
結論:『多崎つくる』から、村上春樹作品の『巡礼の年』をはじめよう

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この記事では、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が村上春樹作品の”入門書”として最適である3つの理由を徹底解剖してきました。
文学の読み方というものは究極的には人それぞれなので、この記事で僕が語っていることはどこまで突き詰めても僕の主観の域を出ません。ひょっとしたら『1Q84』を全部通して読んだ体験が村上春樹の世界にどっぷりとハマっていくきっかけになる人だっているかもしれませんし、中学校の図書館にたまたま転がっていた『羊をめぐる冒険』をたまたま手に取って読んだらたまたまハマってしまった、というような偶然の賜物によって村上春樹の世界への入門を果たす人だっているかもしれません(まさに僕のことです)。
それでも、『多崎つくる』が「最初の一冊」としてそれなりに優れているということはお分かりいただけたのではないでしょうか?
この記事を読んで村上春樹作品に興味を持たれた方は、ぜひとも『多崎つくる』を読んでみてください!
また、村上春樹作品のオススメを訊かれて好きな作品があり過ぎて答えに窮してしまいがちなハルキストのみなさんも、ぜひとも参考になさってください!!
(文/ねも)
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『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、村上春樹作品の「最初の一冊」として最適だと言えるかもしれないし、あるいはそうじゃないかもしれない。
でも僕は、それについてこれ以上深く考えるのをやめようと思う。
なぜならそれは、僕にとって重大な問題ではないからだ。
やれやれ。僕はカップの底にわずかに残ったコーヒーを啜った。