「どらまの生息地」小劇場レポート④好きなのをつくる
大学生の演劇文化を紹介する連載『どらまの生息地』。
これまで3回に渡って早稲田大学小劇場どらま館の新歓イベント『どらま館の歓待』を取材してきました。本記事は遂に最終回となります。
最後の企画は『ワークショップ:好きなのをつくる』。
その名の通り、参加者がそれぞれ自分の好きなものを持ち寄り、みんなで分析し、そして最終的には自分でも何か創作してみるというイベントです。
「好きなの」は演劇に限らず、小説、映画、イラスト、スポーツ、音楽など何でも構いません。
そこで、演劇サークルに所属している/したい人も、そうでない人も、「好きなの」の分析を通して、それぞれの創作のヒントを探してみよう。そんな企画となっています。
筆者も好きな小説を持参し、一参加者としてイベントを楽しんできました。
『好きなのをつくる』
イベント当日、参加者はどらま館の楽屋に集合。
普段は入ることができない劇場に入れるというだけでも、何だかわくわくしてしまいます。
企画者である浜田さんの説明から、いよいよ『好きなのをつくる』が始まります。
浜田さん:
「好き」というのは煙みたいな感情だと思います。モヤモヤしていて、実体がなく、人によってはただ臭いだけかもしれません。今からやろうとしている他人の「好きなの」の話を聞くというのは、実は難しいことです。
だから今回、2つの方針を掲げました。「ものやことに戻る」「わけてならべて遊ぶ」です。
煙があるということはその火元があり、薪があり、火をつけたマッチがある。そういう風に、好きの元となる要素に立ち戻っていけば、自分が好きなものの魅力について説明しすくなるのではないでしょうか。さらには薪を並べて替えてみても、火はつくのかどうか。同じ要素でも組み合わせによってはダメになってしまうのかどうか…
その分析から発展させて「賢くパクる」ということもしてみたいと思います。どんな創作物もゼロからは生まれません。分解した要素を組み替えたり、複数の要素を組み合わせたりすることで、新たな創作のヒントが見えてきます。本企画はその考え方の簡単な練習になればと思っています。
この企画は「取材」と「発表」の2パートに分かれています。
「取材」パートでは、2人1組になり、互いの「好きなの」を共有します。「好きなの」の魅力を相手から聞き出す方が取材者と呼ばれ、相手が話した内容を取材メモに残します。一方が終わったら役割交代です。
「発表」パートでは、取材者からメモを受け取った別の参加者が俳優となって、メモに書かれた内容を頼りに作品の魅力について発表します。その発表を元に、質疑応答をしたり、みんなで意見を言い合ったりします。
ちなみに、このように複雑な交流方法を採用しているのは、常に全員が参加者でいられるようにするという狙いがあるためだといいます。
発表者/聴衆の区分は、ときに聴衆を全くの受身状態にしてしまいます。その問題を解消するため、まるで演劇のように、取材者・俳優といった配役をそれぞれに割り当てているのだそうです。
「取材」
私が「好きなの」として選んだのは、サン=テグジュペリ『人間の土地』のこの一節です。
…ぼくには、何の後悔もない。ぼくは賭けた。ぼくは負けた。これはぼくの職業の当然の秩序だ。なんといってもぼくは、胸いっぱい吸うことができた、さわやかな海の風を。一度あの風を味わった者は、この糧の味を忘れない。そうではないか、ぼくの僚友諸君?問題はけっして危険な生き方をすることにあるのではない。 この公式は小生意気だ。闘牛士はぼくの気に入らない。危険ではないのだ、ぼくが愛しているものは。ぼくは知っている、自分が何を愛しているか。それは生命だ。
どうやら空が白んできたらしい。ぼくは砂から片手を出す、罠の一つはぼくの手の届く所にある、ぼくは触れてみる、だがそれはかわいている。待ってみよう、夜露は夜明けにおりるものだから。だが夜明けが白む、ぼくらの布を濡らさずに。 これを見ると、ぼくの頭の中がいくぶんこんぐらがる、そしてぼくには自分の言葉が聞える、
〈ここの心は干からびて干からびはてた心なので、干からびてしまっていて…一滴の涙も出ないのだそうだ!…〉
ーー出かけよう、プレヴォー!ぼくらの喉はまだふさがりきってはいない、さあ、歩かなければいけない」
『人間の土地』は作家でもあり、飛行士でもあったサン=テグジュペリの自伝的小説です。引用したのは、彼がサハラ砂漠に墜落して生死の堺を彷徨っている、それでも希望を捨てずに立ちあがろうとしている、そんな場面です。
今まで私はこの一節をただ何となく「カッコいい」と思っていました。
しかし「取材」パートで様々な質問を受けながら、その魅力について説明していくうちに、「カッコよさ」を生み出す具体的な要素を発見することができました。
例えば私が「この文章はテンポが良い」と説明したとき、「特にどの部分がテンポの良さを感じさせるのか」と質問されました。
この指摘を受け、さらに深く考えてみると、この文章は倒置法が多用され、一文がそれぞれ短くなっていることに気付きました。また「〜かもしれない」「〜だろうか」など曖昧な表現を用いず、断定形の歯切れの良い文末を連続させていることにも気づきました。
それらによって文にリズムが生まれ、読み手にテンポの良さを感じさせるのです。
「カッコいい」
↓
「文章のテンポが良い」
↓
倒置法、短文、断定形
このように「カッコいい」という曖昧な感想から、倒置法・短文・断定形という具体的な技法まで立ち戻ることができました。
企画の趣旨である「ものやことに戻る」の実践です。
しかし、倒置法を用いた短文の連続が全てカッコよくなる訳ではありません。
やはり、砂漠に不時着して死にかけている主人公がこのように考えている、絶望的な状況でこのように明確な物言いをしているという文脈があってこそ、読者は「カッコいい」と思うのです。
試しに、二度寝する大学生の朝の一幕を『人間の土地』風に書いてみます。企画のもう一つのテーマ、「わけてならべて遊ぶ」です。
私は、自分の布団の中で幸福だ。私には、毎朝満員電車に飛び乗ることが、今この睡眠以上に大事な選択だとは思われない。
以前、私は教授に、メールでこのことを書いた。私は、落単の宣告を受けた。それは大学生の当然の秩序だ。
しかし、何より、私は知ることができた、この惰眠のすばらしさを。私は気付いた、自分の布団の中で。人生はけっして「ガクチカ」を書くためにあるのではない。上手く生きることではないのだ、私が求めているのは。心から求めるもの、私は理解する、それは睡眠だ。
この文章も一応は倒置法・短文・断定形のセオリーに従って書かれています。
しかし当然『人間の土地』のような「カッコよさ」は表現できません。
やはり作品の魅力は、文体と状況の相互作用によって生まれてくるのだと分かります。
「発表」
「発表」パートでは参加者全員でそれぞれ作品の魅力について議論を深め、それをどのように自分の創作につなげるか話し合いました。
私の発表に対しては、『人間の土地』の一節を演劇の台本にしてみるというアイデアが出ました。
引用部分は声に出して読むとリズムが良く、演劇として活きるのではないかと話題になったためです。
そこで、セリフをどのように割り振るかが問題となりました。
実際、引用した場面には主人公しか登場しません。ですが、地の文もセリフも主人公一人に全て喋らせると、何だか味気ない舞台になってしまいます。
他の参加者もいろいろな意見を出してくれました。
主人公の内面を環境音で表現する、スクリーンに文字を映し出すなど、おもしろいアイデアがたくさんありました。
そして最終的に、地の文を『人間の土地』の他の登場人物、物語全体において主人公に強い影響を与えた人物たちに読ませるのはどうか、という意見を採用して以下のような脚本を作りました。
●場面:サハラ砂漠
《仰向けに倒れたテグジュペリ(主人公)を取り巻くように、バーク・メルモス・ギヨメが立っている。》
バーク「ぼくには、何の後悔もない。ぼくは賭けた。ぼくは負けた。これはぼくの職業の当然の秩序だ。なんといってもぼくは、胸いっぱい吸うことができた、さわやかな海の風を。一度あの風を味わった者は、この糧の味を忘れない」
メルモス「そうではないか、ぼくの僚友諸君?問題はけっして危険な生き方をすることにあるのではない。 この公式は小生意気だ。闘牛士はぼくの気に入らない」
ギヨメ「危険ではないのだ、ぼくが愛しているものは。ぼくは知っている、自分が何を愛しているか。それは生命だ」
《辺りが明るくなっていく。テグジュペリは倒れたまま片手を伸ばし、蒸留装置に水が溜まっているかどうか確かめる。しかし、蒸留装置は空っぽである。》
テグジュペリ「ここの心は干からびて干からびはてた心なので、干からびてしまっていて…一滴の涙も出ないのだそうだ!…(蒸留装置の布を握りしめ、高く掲げながら)…出かけよう、プレヴォー!ぼくらの喉はまだふさがりきってはいない、さあ、歩かなければいけない」
主人公が解放の手助けをした奴隷バーク。主人公と同様にパイロットであり、作中では既に死亡しているメルモスとギヨメ。
それぞれ主人公の心に大きな影響を与えますが、本来この場面では登場するはずがないキャラクターです。それをあえて舞台上に登場させることで、主人公が幻覚を見るほどの限界状況に置かれていることを視覚的に表現できるのではないかと考えました。
また、その幻覚によって友人たちの記憶が蘇り、かえって主人公に力を与えるというイメージは、『人間の土地』に通底する人間讃歌的なテーマとも響きあっていると思われます。
イベントを通して
このように自分の好きな作品を他者と共有することによって、作品の要素を分解し、「好き」という曖昧な気持ちを具体化することができました。さらに、それを元にちょっとした演劇の脚本を作ることもできました。
今回のイベントから学んだことは、何かを創作するためにはとにかく「言葉にしてみるべきだ」ということです。
ゼロから生み出そうとするのではなく、迷ったらまず自分の好きな作品について分析してみる。好きな要素を分解したり、他の作品などと比較してみる。それを誰かに伝えて意見をもらう。
このような過程を経て、今まで気付かなかった作品の魅力を発見したり、そこから創作のヒントを導き出せたりするのです。
それを実感できたイベントでした。
(取材・文:とり)